文総裁がよく 朝鮮と日本を 「本家と分家」 という表現で例えられる。
これは、「日本の王朝は 所詮 朝鮮の分家、亜流である」 とおっしゃりたいのだろうが、それを奇しくも 朝鮮にとって都合の悪い形で証明する歴史的事実がある。
それがフビライをたきつけた「元寇」の高麗軍(朝鮮人)と、それを要請した日本帰化人集団(古在日)の存在である。
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フビライハーンは、1276年 南宋を攻略するまでの間は、ぶっちゃけ 日本への侵略をよしと思っていなかった。 そういう余裕が無かったのだ。 現に日本に 「願わくば使者を行き来させ、親睦を深めようではないか」 という親書を送っている。 こういった国書を何度も送っている。
936年に成立した高麗は、1259年に元に服属する(1392年に滅ぶ)。 元軍の遺物を回収すると、「てつはう」の他に高麗青磁がたくさん出土した。
1451年に完成した「高麗史」の中にも、元に日本侵略の 「戦費・食料・900隻の軍船を提供するから攻めましょう」 と進言した事実が記載されている。
乗り気ではなかったフビライをたきつける為に、高麗は何度も申請し、蒙古軍4万人の内、なんと3分の2の兵力を高麗で負担してまで 日本侵略を実現させたのである。
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一方、日本では 福井県若狭の歴史書に、高麗との交易の事実が記載されている。 この交易をしていたのが、福井の比企一族(埼玉~滋賀県の東まで支配していた有力豪族)である。
現在でも埼玉県には、「比企」という地名と高麗駅という駅まで存在するほど、高麗・比企とは関係が深い。 実はこの比企氏は、{朝鮮半島から渡来した一族}で、北条氏の幕府に復讐する為に、高麗と組み、元寇を画策・仕組んだ。
元々、比企氏は、源の頼朝の鎌倉幕府2大勢力で、武蔵野出身の比企・伊豆国出身の北条という関係であった。 北条氏と共に「大将軍」に任命されていた。
だが、頼朝の死後、比企氏の勢力拡大を恐れた北条政子に 比企とうよう は暗殺された。 その後、一族は没落していった。
これを怨みに思った比企一族の末裔が、ひつようにフビライに日本征伐を要請したのは、内心では 「北条征伐」 の目的であったし、事実 蒙古軍は“高麗軍”そのものであった。 つまり、元寇とは 「蒙古襲来」ではなく 「高麗襲来」「比企一族(古在日)の怨霊」であったのだ。
教科書に載っている指し絵の3人の弓をいる蒙古兵士は、江戸時代に描き足されたもので、江戸幕府が鎖国を強化するために、大陸の怖さを強調する為のもので、実際の絵巻物には、逃げ惑う蒙古軍の姿しか描かれていない。
実際の蒙古軍は、士気が低かったのだ。
これは、おそらくは、普段 海上戦術に慣れていない蒙古・高麗兵士が、船酔いでヘロヘロ状態で進軍せざるをえなかった模様で、最新の武器を持ちつつも、士気があがらず、1日で撤退したものと考えられている。
ちなみに、どの書物を調べても、当時に神風が吹いた事実は無いそうだ。
それから、フビライが日本に何度も国書を送った理由として 有力な説が、戦う戦術やエンブレムなどの周辺事実により、ジンギスカン(チンギスハーン)に日本人の血が入っていた可能性が示唆されている。
(その日本人が、義経なのか、その偽者の杉目次郎なのか、はたまた別人なのかは判別していないが、チンギスハーン自身が日本人という説もある)
義経が姿を消した年・・・1189年
チンギスハーンが歴史書に登場した年・・・1193年
義経もチンギスハーンも、軍旗に白旗の長いのを使用していた。 当時、元が支配していたロシアのナホトカには、源氏の紋章(笹竜胆:ささりんどう)が残されている。
(この「義経=チンギスハーン説」は、明治12年 ケンブリッジ大学に留学していた外交官 末松謙澄の卒業論文が最初の出典)
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話がかなりそれてしまったが、“古在日”の存在が、日本の正史に大きく汚点を残すというか、そこまでの力を持っていた事が伺える真実である。
資料が無いから、たまたま元寇を引き合いに出したが、実際には相当 2660年前の神武天皇の天孫降臨以降、多くの朝鮮人が朝鮮半島内の政争に破れ、日本に集団移住し、日本の地を血で汚しながら、本国朝鮮への野望を秘めていたものと思われる。
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こういった事実を、トータルに考え、歴史を1本の道筋・因果応報で捉えるならば、元が2度 日本を攻めて、豊臣秀吉が2度攻め返すという構図と見えなくも無い。
朝鮮人の悪どいところは、自分達にとって都合の悪い歴史の一点だけを注視して、その前後は省みず、被害者のふりをしながら利益を強要するところにある。
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神様は、堕落した人類をもとがえす 複雑な復帰のプログラムを遂行しておられるだけで、闇雲に朝鮮民族を愛しておられるわけではない。 もし、一つの民族だけを愛するとしたならば、それは 神様の愛の通過点にするおつもりの拠点である。
現に、統一教会も、犠牲をもって神様の愛を具現化している。 統一教会は、無くなる為に存在している!。
その神様の拠点?の民度が低く、愛の通過体にもならず、いつまーーーでも恨みがましい 恥ずかしい国体であった場合、最終的にその国・民族は、神様から祝福を受けれるのかどうか?、冷静に考えて欲しい。
子供じゃないんだから!
「お母ちゃんは、僕が正しいって、言ったよぉ!」 みたいな世界ではないのだ。 神様の直下の民族は、神様の愛を体得し、むしろ犠牲を名誉に変えるような国是で無いと、侮辱の対象になるのだ!。