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2009年1月10日 (土)

難民 亡命 帰化

日本書紀の推古16年(608年)の記述に 「この年は新羅の人が多く帰化してきた」 とある。

推古20年(612年)の記述には 「この年、百済から日本を慕ってやって来る者が多かった」 とある。

天智2年(663年)の記述には、百済が滅びたので 「百済の一般人は日本に向かった」 とある。 その規模は、4000人~5000人。 この5年後には、高句麗から多くの亡命者があったとなっている。

日本書紀に記載されたのは、政府を通じた正規のルートの者だけで、非正規を合わせると、どれほど日本に迷惑をかけた国かはわからない。 いわんや、中国もである。

今まで皆さんは、朝鮮半島の人たちは優れた文化を持っているで、古代も 徴用された、強制連行された、大陸から見ると「文化をあげた」と思ってきたのではないでしょうか?。

ち が い ま す

① 住みづらいから逃げてきた

② 負けたから、日本で体制建て直しを図った(リベンジ狙い)

③ 中国の徐福みたいに、来て見たら 素晴らしい所だったので、使命を忘れて住み着いた(本当は 皇帝から不老不死の薬を探すように言われてた)

④ 日本の方が進んでいた (建物・生活様式・モラル・・・)

というのが事実です。 

日本書紀 斉明7年(661年)に、トルコ人(突厥:とっけつ)の軍隊が朝鮮半島に攻め寄せたと記述されている。。。 当時の中国・朝鮮半島は、想像以上に国際的だったのだ。

ちなみに、、、ハンガリーでも、水はミズ、塩はシオと発音します。 これらは、シルクロードの交易のなせる技です。

文総裁の卑怯なところは、これらをご存知でいらっしゃりながらも、メシアとしてお馬鹿な自国民に殺されない為に(使命完遂の為に)、都合の悪いところは正さず、黙視されておられるところです。

でも、これこそが、結果的に 日本社会で文総裁の人気が無い理由になっています。 これが元で、文総裁入国の議論が盛り上がりません。

朝鮮人の凄いところは、歴史書を読んで研究したソウル大学の教授よりも、無学な一般人(メディア)の幻想の方が正義にされるところです。

近代・現代に、朝鮮人にとって都合のいい文献が発見されるのは、いつも無学な一般人発のもので、それをメディアがたきつけて、既成概念化します。

あー・・・ お そ ろ し !

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