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2009年2月 9日 (月)

松江豊寿 (とよひさ)

徳島県鳴門市 坂東俘虜収容所 所長 松江とよひさ。

世界からの第一次世界大戦の捕虜、つまり、英・蘭・独人捕虜を収容していた施設の長だ。 これらの捕虜から、今でも感謝され、尊敬されている ヒューマニスト日本人。

「捕虜達は犯罪者ではない。祖国の為に戦い、たまたま敗れただけの人達だ」 という “武士の情け” の精神主義者。

捕虜に自由行動と秩序、芸術・スポーツ(広い空間5.7ヘクタール・サッカー・ホッケー・テニスコート・ヨット・第九・演劇団)と、自国の文化産業を施設内で操業させ(外出OK・酪農・商売・ドイツ パン屋)、妻との面接・パーティ・飲酒も許した 太っ腹な人道的所長。

陸軍省から何度も叱責されながらも・・・

福島県会津若松うまれ、ぼっしん戦争で敗れ、「敗者の悲しみ」 を知っていた男。

かつての捕虜達が、40年以上たっても、未だに 「坂東会」 なる団体を組織し、収容所時代を懐かしんでいる。。。

現代でも、徳島県鳴門市のドイツ館には、当時の状況を示す物が残っている。これらは、かつての捕虜からの寄贈と寄付で成り立っている。 戦時中こそ、友情の絆を作れるのが日本人なのである。 

2002年のW杯で、六本木に相手国を応援するコールが お互いを讃えあい、フーリガンの出る幕が無かったように・・・

何も、「昔の日本人が全員こうであった」 とまでは言わないが、台湾の例にあるように、昔の日本人は偉かった。

もちろん、中国・朝鮮に赴任した日本人官憲にも、当然 こういう人格を備えた人がいたはず。 ところが、有らぬ腹をさぐる下衆な民族は、自分達が下劣なので、当然 「支配者も下劣であろう」 と、秩序を壊し 従わなかった。 当時の国際情勢も考えずに・・・

だから、日本人は 不本意にも、日本人らしからぬ暴力に訴える手段をとらざるを得なかった。 中国・朝鮮の無知ゆえに、日本人が鬼とならざるをえなかったのだ。

それを、近代化・民主化された現在に至っても、未だに日本や当時の世界情勢にたって思考することができない民族が 日本の隣に居座るこの悲劇。。。 私は一人の日本人として、このままでは、死んでも死に切れない想いである。

だから、私は統一教会に残る。 活動する。 南北統一を援ける。 神様を救う!。

なにゆえに、日本に70年も住んだ在日の中から、真の日本人像を朝鮮に発信する人間が出てこない?。 何ゆえに、再臨のメシアですら 朝鮮に生まれるならば 民族主義が見え隠れする 恨みがましい言動に終始する?。

朝鮮人メシアの限界線か?・・・

もしも、純血日本人に再臨のメシアがお生まれになられていたら、簡単に死ぬリスクはあるが、万民から慕われる 分かりやすいメシアになられたことだろうよ。。。

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