京都 だいうす町
ザビエル来日から50年経った1596年に、京都で大地震がありました。 家も家族も失った家族は仏教の寺に行って、葬式をお願いした。
ところが、寺はお金・お布施がないと 葬式はできないと突っぱねたので、結果的に 神様が無料のキリスト教徒が爆発的に増えた。
「だいうす町」という地名は 京都内に5箇所あるのだが、これはギリシャ神話の影響もあって、神様をヤハウェと呼ぶ人ばかりではなく、「デウス」と呼ぶ人も多かった。つまり「だいうす町:キリシタン町」となったわけです。
普通キリシタンと聞くと、長崎が一番多いように思いますが、一番多かったのは京都。 長崎で十字架につけられた二十六聖人も京都とその周辺で捕まえられた人たち。 26人中、17人はだいうす町で捕まえられました。
キリシタン大名の高山右近は大阪北東部の高槻市の城主だった。 高槻・京都・安土は教会が多かった。
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葬式に留まらず、仏教には、“無償の愛” の概念が無かったので、おそらく聖徳太子の四天王寺やら悲田院建造の精神も、医療無償で行うのが当たり前だった景教の影響と考えられる。
つまり、、、 どーみても、聖徳太子は仏教徒ではないのだ。
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