2008年12月20日 (土)

ユダヤの恩恵

杉原千畝の生命のビザで救われたユダヤ人 ベンジャミン・フィッショフが、上海の電気工事会社を経て その後渡米し、日本企業の南北アメリカの総代理業者になった。 彼も 終生 親日家だった。

「熱を持ち・かさばる真空管に トランジスターが取って代わる」 と直感したユダヤ人フィッショフがソニーに特許を取るように勧めた。 特許を持っていた米RCA社は、なぜかトランジスターに関心が無かった。 ここから小型ラジオとウオークマンでSONYは天下を取る。

戦後の日本国憲法を作ったのも、マッカーサーに任命された 若い法律素人のユダヤ人集団。 世界での日本企業の輸出の窓口・代理店をしてくれたのも、ユダヤ人だけ。 だから SONY盛田昭夫社長は、ユダヤの祭日を知りたがった。 会議のために、ユダヤ暦が必要だったのだ。

当時、日本の商品は 「安かろう・悪かろう」 だったものを、イメージを変えた第一号がニコンの35ミリカメラ。 これもユダヤ人写真家ジョゼフ・エーレンライヒの進言によるもの。他にも、ブラザーミシンもユダヤ人と手を組んで、世界進出できた。

こうして日本は、猿真似ではなく、白人の隙間の情報をユダヤ人が流してくれて 復興できた国なのである。

ちなみに、鉄砲伝来は「1543年ポルトガル人」となっているが、3人のうち 2人がポルトガル人、一人がユダヤ人である。 そのユダヤ人の日記が 当時の西洋でベストセラー航海記になった。

東京裁判を“違憲”としてくれているのはインドのパール判事だけでなく、全ユダヤがそう思ってくれている。 たとえ カナダ人でもアメリカ人でも、時代考証で「アジア・アフリカの解放」を研究する人は、もれなく日本を賞賛する。

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