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2009年1月16日 (金)

法華経=無内容説

法華経は、日本仏教のバイブルとなっている。

鎌倉仏教の開祖達は、一度は比叡山延暦寺(天台宗)に入っているので、皆 一度は法華経を学んでいるわけです。 (法然・親鸞・道元・日蓮)

道元の正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)では、法華経からの引用が多数出てくるし、日蓮は「唯一の真の教え」として 自らを 「法華経の行者」 と呼んだ。 今でも、霊友会・立正佼成会・創価学会は法華経がベースである。

{ 宮沢賢治も法華経信者だったが、途中で変わる。親友がヤソと迫害され、妹が蹴り殺されても 地域に尽くして長子権を復帰した姿に感動し、「雨にも負けず」 を執筆する }

法華経の成立・・・西暦50年~150年

第1種・・・方便品第二~授学無学入記品第九まで(西暦50年までに成立)

第2種・・・法師品第10から属累品第21・序品第一と第二(西暦100年頃成立)

第3種・・・薬王菩薩本事品第22~普賢菩薩勘発品第27まで(西暦150年ごろ)

何度も書くが、トマスの伝道対策。時期が重なる。 シャカの死後600年近くになって成立したと言う、無茶苦茶な話。 現代人が14世紀の後醍醐天皇の伝記を書くような話。

これが、シャカの話をベースにしているのなら、まだ納得のいく話だが。 なぜこういうことがインドで起こったかと言うと、インド人は自分が書いた文章の権威付けに、過去の偉大な人が書いたかのような記し方をするのが常道だったようだ。

インド人は、歴史的事実には関心が無かったらしい。 ひえ~

これに対し、基督教では「正典」「外典」「偽書」と ちゃんと分けている。 マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネが聖書だが、2世紀に書かれた7つ?はイエスに直接出会ってない人が書いたものなので、聖書には編纂されなかった。 

{ナザレ人福音書・エビオン派福音書・へブル人福音書・エジプト人福音書・トマス福音書・その他の福音書もあり}←“福音書”と呼ばれているが、文学レベルと見なされた。

法華経は自画自賛しか書いてない

法華経の内容の訳を解釈すると、、、法華経が法華経を信じる者に功徳の例を並べただけの、大でたらめぶり!。 (例:8千の能力を獲得するであろう!)

18世紀 富永仲基(儒学者)「法華経は自画自賛ばかりで、教理らしきものがなく、経と名づけるに値しない」

19世紀、平田篤胤は 「法華経は肝心の中味が無い能書き」

法華経には3つしか 新しい思想が無い

① 一乗妙法(万人成仏の思想) ただ一つの乗り物で、平等に成仏させれる。「声聞」「縁覚」「菩薩」も、皆平等に成仏できる と。

② 久遠本仏(永遠の救い主の思想) シャカは「永遠の仏」と神格化された。

③ 菩薩行動(菩薩=仏の候補生・修行中) 布施(分け与える)・持戒(戒律を守る)・忍辱(にんにく:迫害に耐える)・精進(実践する)・禅定(心を安定させる)・智恵(真理を知る)←この六波羅蜜よりも重要なのが、菩薩行だ! と。

法華経を捏造させた必要の母とは・・・十字架の万民の救い。

昔NHKで「シルクロード」という番組があったが、インドのケララ州では 今でも人口の5分の1が基督教徒であり、自らを「トマの子」と名乗っているそうな。 この勢いに押されて、「必用は発明の母」にて、法華経成立。

皆さん、くれぐれも、周囲の仏教徒を明日から馬鹿にしないでね。 仏罰が当たるよ!(笑)

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