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2009年1月16日 (金)

仏陀のオリジナルは?

瀬戸内寂聴さんがNHKで話してた通り、仏陀は悟ったとされた後も各地を彷徨っていた。 これは伝道していたのではなく、彼は彷徨っていたのだ。

死の直前の仏陀は、弟子のアーナンダと出身地の西隣の地方を歴訪し(インド北部)、感動してくれた帰依者が食事を準備してくれるが、酷い下痢をしてしまい、病にふす。 仏陀は、弟子に解放され、人に施しをする余裕も無く 旅先で死んでいきます。

基督教では、よく伝道者がゲストの健康の為に 施しやマッサージをするが、これはイエス様が弟子の足に香油を塗ってマッサージした行為の真似だ。 こういう施しや 「犠牲精神」 は基督教では最高のものとされるが、仏教にはこういう概念は無い。

なぜか?

仏陀が そこまで悟れなかったからだ。 愛は、神様からしか出てこない。 神様につながらずに人に施すと、いつしか人間は枯れたり 見返りを求めたり、商売に走るようになる。 この原則は、仏陀とて同じ。

結論から言うと、仏陀は 統一教会の言う 長成期完成級のレベルまでサタンの試練を超えたというだけで、決して “神様” が判ったからではないからだ。 だから晩年も、弟子と神様・宇宙の法則を求めてさまよっていたのである。 仏陀は弟子に 「私は何も分からない」 と語ったこともあるそうな。

つまり、仏陀は、あくまで途中レベルの使命者、無神論者なのである!。

仏陀が説いた内容は、以下の4つだけである

① 「苦」・・・人生は苦である

② 「無常」・・・すべてのものは移り変わる

③ 「無我」・・・世界の全ての存在や現象には、捉えられるべき実体はない(霊界否定)

④ 「涅槃」・・・すべての執着心を断てば、苦悩に満ちた輪廻の世界の生まれ変わりから解放され、生存から脱することができる

これらが主なもので、とにかく有神論的要素は出てきません。 弟子達の永遠絶対者への質問に関しては、黙して語ろうとはしなかったそうです。 仏陀は、何も分からなかったから、語れなかった。 結果的に彼は、無神論者のままだったのだ。

ところが、イエスの死後(もちろん仏陀は400年前に死んでいる)、トマスがインド南部で福音を説き、洗礼をさずけて 多くの信者を獲得していく姿を見たとき、危機感を感じた仏教徒は この時から、「習合・取り入れ・模倣・付け足し・引用」 して生き残る体質を身に着けていったのです。

大乗仏教が成立した大きな理由は、有限なる仏陀だけでは信者が獲得できないので、永遠の存在を作りあげないといけなかったわけです。

「大日如来」は その最たるもので、仏陀自身にも「永遠の仏」の称号を与えてみたり、「宇宙仏」としての“大ビルシャナ仏”創造?など、必死です。

西暦1世紀というトマスの伝道時期・直後に、時を同じくして法華経はじめ、見事に仏教に様々な「後付け理論」が構築されていきます。 当時の仏教者が、それぐらい危機感を感じた証拠です。

通常、宗教では、第一教祖に回帰・帰依し、それが経典の永遠性をもたらします。 ところが、節操の無い仏教では、仏陀以降の悟りある人間にも「巨人」の称号を与え、それが立派な教義になったり、「これぞまさしく究極仏典」と、オリジナルに摩り替ってたりします。

なぜだかしらないけれど、結婚できないでいる仏教徒が基督教に改宗するだけで、結婚できる事例が、日本家系図協会で客観的に報告されています。 こういうのも、何か関係があるのかもしれませんね!?。 真理に一歩踏み込まないと、人間は結婚が許されないのかもしれません。

続く・・・

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