阿弥陀仏
前回の文章では、なぜ仏教が 永遠性の教義部分を後付けで捏造する必要があったのかを書きました。
今回は、仏陀の説いた輪廻転生を拡大解釈させて、“救い主の輪廻” を捏造した 「阿弥陀仏」 について書きます。
仏教では、教祖シャカが死んだ後、「仏はひとりではない、たくさんいるのだ」 という思想が起こりました。 これが 「過去七仏」 の思想と呼ばれます。
シャカが初めて真理を悟ったのではなく、シャカの前に6人の仏がいて、シャカは7番目の仏だ という話です。
時間的に7人の覚者、そして空間的には、「西のかなたにも東のかなたにも仏は出てたはずだ!」 という話にしたわけです。
なぜに、こんなにも都合がいいのか?と言うと、元々 「インド人に歴史書は無い」 と言うぐらいに、インド人は正確に歴史を伝承しようという気が無い民族なようです。 今に希望が与えられる思想の種があるなら、受け入れてしまうのです。
こうして信仰され始めたのが、「阿弥陀仏」 「薬師仏」 です。
阿弥陀仏・・・西方のかなたにある極楽浄土
薬師仏・・・東方のかなたにある浄瑠璃浄土
大ビルシャナ仏・・・宇宙の中心に住んでいる
シャカ・・・霊山りょうぜん浄土に住んでいる
仏教では、「宇宙の至る所に仏がいて、その仏の数と同じだけ浄土がある」 とされている。(多仏思想)
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これは、真理と似ている思想。 統一教会でも言う、霊界の階層に相当する。 例: 霊界で マホメットの周囲にイスラム信者が固まって座っていたが、あきらかに薄暗かった と霊言集に書いてある。 教祖の数だけ霊界の階層ができる。 ただ、残念なことに、優劣があるのだ!。
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日本では、この阿弥陀仏が 念仏の拡がりと共に活用?されます。 基督教で 「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる」 の思想部分を補うために、仏教では阿弥陀仏の願力により、誰でも極楽浄土に行ける・・・ と説かないと、人々が救いを感じれなかった訳です。 ナハハ
オリジナルである、ヨハネの福音書の 「この方キリストにいのちがあった。このいのちは人の光であった」 の部分を補うべく、インドでは 「いのち・光」 → 「無量寿・無量光」 と転化させた。 現在の中国のパクリは物相手、まだまだ可愛いレベル、、、インドこそ本物のパクリ家です。(笑)
こういうのを、折衷思想 とも言うそうです。 ものは言い様です。
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法華経は どの部分を折衷(せっちゅう)したかというと、ヨハネの福音書の8章 「まことに、まことにあなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、私はいるのです」 の部分を仏教に取り入れる必用があるので、仏陀の 「神格化・永遠の仏化」 する理論が求められたのですわ。
{ 過去に悟ったはずの仏陀が、何ゆえにまたこの世に生まれてくる必用があったのか?、、、それは人々を導くための方便だ! } と。。。 強引っ(笑)
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三位一体もぱくった・・・「三身即一」
神・イエス・精霊・・・大ビルシャナ仏(法身仏 ほっしんぶつ)・阿弥陀仏(報身仏 ほうじんぶつ)・歴史上のシャカみたいな仏(応身仏)
法身仏→真理そのものを身とする仏で、形が無く、永遠に存在し、真理そのものであるような仏
報身仏→法身仏の果報として、良い部分だけ具体化したような仏。 もうちょっと身近な存在。
応身仏→時に人々を救わないといけないから、現世・歴史上に現れる仏(人間化)
{ちなみに中国の景教では、父なる神(妙神)・イエスキリスト(応身)・精霊(証身)と呼ばれていました}
つまり、最高の応身仏とは、、、 成太作(ソン・テチャク)!、、、つまり 池田大作です。(大笑い) ガハハ
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