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2009年1月11日 (日)

基督教国になれなかった理由

いかにも、朝鮮人やら 文総裁から言わせれば、日本がキリスト教国になれなかったのは、日本人に基督教に対する信仰心が無かったから、民度が低かったから、殉教数が足りない(命がけの精神が足りなかったから) と 言いたげな表現が多い。

しかしながら、実体の理由は違う。 イエズス会の布教の仕方が狭量だったからなのである。 イエズス会は最初は広がるが、途中から反発を食らうのである。

昔から日本にある景教徒に対して、「あれは違う これは違う」 と言い、寛容さが無かった。 まだこの部分は、「神様の世界戦略なんだから!」 として我慢ができるが、移住希望で宣教した景教徒に対し、イエズス会は爆撃型。スペイン・ポルトガルの王室のバックが経済援助しているひも付き団体であった。

当時の西洋は、ともすれば植民地化の野心をもっていたので、神様の祝福を受けつつも、“動機が不純” という側面を持っていた。

つまり、日本側の問題・土壌の問題ではなく、布教に来た側の問題があり、その人たちの見せる不寛容さに、民度の高かった日本人が心底共鳴できなかった問題が含まれていたのだ。

苦しいばかりの焦土であった、中国・朝鮮人ならいざ知らず、、、一応 平和的にバランスされていた日本には、昔からあるものに敬意を払わず、ブルドーザー的に来るものに対して、一種の拒絶感があったことが、容易に想像できる。

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