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2009年1月11日 (日)

茶道のルーツ

京都の裏千家、組織としては、「茶道は茶道」 という立場を取っているが、裏千家の家元に代々伝わる伝承としては、イエスの最後の晩餐としての聖餐式のイメージなんだそうな。

お茶菓子・・・キリストの御体

お茶・・・キリストの御血

小窓から見える庭の「キリシタン灯篭」(普通の灯篭に見せかけて、実は下部に草に隠れたキリスト像がある)に向かって礼拝をする構図。

第15代家元、千宗室氏が次のように書いている。

「西暦1500年代に{茶道}として成立した茶の湯は、基督教(カソリック)の影響を受けているのです」

さらに

「茶室の入り口近くにある「蹲つくばい」(手と口を洗う手水蜂)は、禊ぎ、清めの為のもので、基督教にある聖水と同じ意味だ」

「茶室の入り口が小さくなっているのは、どんな武士でも 刀を抜かないと入れない。 つまり、武器を捨て、頭を深くかがめる、へりくだった態度を教える為」

マタイの福音書7章13~14 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいっていく者が多いのです。いのちに至る道は小さく、その道は狭く、それを見出すのは稀です」

この話を、どこかの魑魅魍魎な国に伝えてください!。 「茶道のルーツは おらが国ニダ!」 とほざいている輩に!!!。

茶道とは、隠れキリシタンの儀式を、為政者から守りながら行う “隠れ蓑” であったのだ。

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