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2009年1月31日 (土)

麻生6兄弟の笑い話

麻生太郎は長男だが、成績は 良い順番に ②⑤ ③④ ⑥① であるらしい。

2・5番目が成績は一番良く、3・4は普通だが、人柄がいい、、、6・1はぜんぜん駄目。。。(1は人柄も! 笑)

その、麻生家で一番優秀な下の妹が、昭和55年に昭和天皇の甥 「寛仁親王」に嫁いでいる。

どんな家でも、家系の徳は長男・長女に引き継がれる。 つまり、麻生家では 戦国時代の射撃の腕前が長男・太郎に継承されたのである。(クレーン射撃 オリンピック代表)

一時代前の先祖から見た場合、「お家存続には、文より武芸、、、中でも射撃」 という共助が優先されたのであろう(笑)。

可愛そうな事に、麻生太郎の実妹(信子妃殿下)と寛仁親王が結婚成される際に、親王は信子夫人に 「俺はお前のことは守らないよ」 と言ったらしい。 

理由は、昭和天皇を守る侍衛官は、少し離れた所にいるので、暴漢が現れた場合は この寛仁親王が身を挺して陛下をお守りしようと普段から決意していたらしい。

それぐらい、昭和天皇は御人格が別格だったのだそうな。

明治天皇には、絶対専制君主システムを作った伊藤博文・西郷隆盛・井上馨・乃木希典らがいたし、それらを守る原敬首相がいて 山県有朋・大山巌・山本権兵衛などの陸海軍の名将がいた。

しかし、昭和天皇にはこれらがいないどころか、事実とは違う報告を上げてくる者を選別しないといけなかった。 昭和天皇はお一人で天皇制というシステムを支えなければならなかったのである。

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