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2009年1月 8日 (木)

弘法大師 空海

以前、メシアを囲んで 食口の質疑応答会があった。 というか、御言葉の後に 「誰か 私に質問無いか?」 と文総裁がおっしゃったので、日本食口が手を挙げた。

「文先生は、歴史上の人物で どなたに一番キャラが近いですか?」

とたずねた。 すると文総裁は「日本の空海」とおっしゃったそうな。 おそらく意味は、霊能力を実務に駆使した 現世利益をもたらす宗教人。 そして崖の上から身を投げて、神様に自らの使命を問うた 傑出した決意の人物、、、という意味でおっしゃったのだと思う。

日本人にとって、空海上人ほど人気者はいない。湯治場を掘り当てた功績だけでも、聖徳太子以上の評価をする日本人も多いはず。(文総裁は、日本人には人気は無いが・・・苦笑)

が・・・

実際には、空海は満身評価できる人物なのか?。 それは、NO である。 

日本人の文化的先祖であるエフライム・北イスラエル・天皇家は、捕囚されたり流浪する中で、異教の神を信じた事を反省した。 そこで、日本という安住の地に辿りついてからは、極力 モーセ・聖書の純粋な一神教の儀式・儀礼・教義に固執していた。 その為に多くの歴史書も残していた。

ところが、これを仏教派の蘇我一族が、火をつけて図書館を燃やしてしまい、日本は正史を失った。 9世紀までの日本は、ユダヤ教と同じで、偶像を一切造らなかったのである。

空海を語る前に、まずは聖徳太子について語る。

① 聖徳太子は実在した

② 聖徳太子は神道信者で、四天王に祈った逸話は捏造である

③ 聖徳太子を仏教信者に書き換えたのは、道慈(日本人)と日本書紀

④ 三宝(仏・法・僧)の捏造前の原典は、三法(儒・仏・神)である

⑤ 「ウソも方便」とは、仏教を広める方策で、「疫病神」とは仏像のことである

{ 我が先祖の物部氏は、金ピカの仏像導入で国内に疫病が流行り始めたので、これをモーセのごとく粉々にくだき、大阪の淀川に流したのである すばらしい! } 

要するに、神様は 人生ノウハウとして儒教・仏教を “メシア降臨準備” として起こされたが、これらは決して本道ではない。それなのに、時の為政者が仏教を 政治中枢に入る目的で悪用?し、国体を書き換えたのである。 日本は本来、一神教の神道(ユダヤ的キリスト教)のみであった。

こういう、日本の国体が揺らいだところへ、傑出した能力で、尚且つ 天皇家の血を引く空海が留学したことで、日本はさらに国体を見失う。 空海は仏教と景教を日本にもたらした。 だがこれは、神仏を図像化するきっかけとなったのだ。

つまり、文総裁は常々 「日本は多神教だから・・・」 と馬鹿にされるが、その大元を作ったのが空海なのである。 神様は“法華経”を通じてのアベル・カインの摂理を日本に試みられたのであるが、謙虚な最澄に対し、能力に自信を持っていた空海がこの摂理を失敗させた。

777が良く使う表現、、、「文総裁のお言葉は、誤解される事が多いから、外部には聞かせられない」 と。

そう考えると、我々が、いかに「原理講論」に感謝しないといけないか?である。 それは、文総裁のわけのわからない話を聞かなくても、原理の全貌が 粗方 理解できるからである。 近代史の部分以外は、劉こうげん先生に大感謝しないといけないのである!。

仏教も法華経も空海も、言うならば 二次摂理。。。 日本は、終末の時代に、分断した南北のユダヤ人が結集し、世直しする使命を帯びていたのだ。 

この有能な民族が、最低の民族にお生まれになられるメシアを、殺さずに受け入れることができるかどうか?、これが神様の最大の関心事であったはずである。

当然のように、朝鮮国内での “キリスト教を中心とした摂理” は流れた。 最初から、宿題のメイン担当者は、日本・ユダヤ人に託されていたのである!。

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コメント

元(土台)創価ですか?

空海様は天才肌で文先生と気質相通ずるものがあると思うのですがどうですか?
四国人は山側と海側で人柄が違う。

海側は本当にお調子者。

投稿: サラ | 2009年1月 8日 (木) 23時50分

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