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2008年8月 8日 (金)

神様の存在

熊谷が40度を超えたと言われる中、いかがお過ごし?

そもそも人間は、状況が苦しくなると、神様の存在そのものを不信する試練にあう。誰かが見せてくれるものでもないし、自分にだけ 急に現れてくださるわけでもないし、結局 最悪の状況下では、神様の存在への真偽は、理念化された太い幹が魂に刻まれないと、無理なような気がする。不信は簡単。

そこで、統一教会では 神体験を貴重視するのだが、その前に、理詰めにて 神様の存在を検証・再確認。↓

遺伝子とは、アミノ酸からなる複雑な二重螺旋構造のたんぱく質だが、これが偶然できる可能性は 全く 0。 地球ができ、温度差で水分が生じ、アミノ酸のスープと呼ばれる薄いゲル状態が地表に存在するようになったとしても、そこに 創造者からの“意図”が付与されないと、スープから遺伝子には エントロピー増大しない 発展しない。できない。その可能性を例えるならば、山野に住む人間が、不便だからと言って、「背中に羽根が生えろ!」 と どんなに願っても生えてこないのと同じで、誰かが“作用”しないと、アミノ酸のスープの中からAGTCの4種類のたんぱく質が、絡み合いながら 生命を構成することは、永遠にありえない。

悲しいかな、人間は被造物。 「造られた側」だから、どんなに願っても、指一本、髪の毛一本も造れない。代替医療は、あくまで皮・表面だけだ。機能しない。

つまりこのように、どんなお方かは別として、、、{創造者は必ずいらっしゃる} というパラドックスが成立するのだ。そして、さらに 聖書では、神様の名前やキャラクター、さらに原理講論では 神様の心情面まで説明している。

つまり、既に 原理を聞いた段階で、人間には「行動責任」が発生してしまっている。 ぶっちゃけ、この程度のブログと言えど、真理を知りえた以上、きっかけは何であっても、摂理を担う行動責任が生じる。

つまり、この部屋 このブログを読んで、統一教会に賛同・協賛しなかった人間は、天の法律に引っかかるようになり、死後 霊界で讒訴条件となるのだ。 デスノートなんかより、よっぽど恐ろしいのが、このブログだ。 リアル版デスノートだ。

見てしまった あなた!、残念でした。もう この呪縛からは逃れられませんから。。。

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